知性を持つ胃―人間の第二の脳
(ARTEドキュメンタリー番組のサマリー)
2018年11月の中旬に、ドイツ・フランスの共同TVチャンネルARTEで「知性を持つ胃-人間の第二の脳」というドキュメンタリー番組が放送されました。このタイトルは、地球の原始的な生き物は脳を持たない代わりに、消化器系が行動を司っているという科学の発見に基づいています。人間が火を発見し、調理を行えるようになって初めて、消化管が消費するエネルギーが少なくなり、脳が現代人の精神的機能を持つレベルまで発展できました。厳密に言うと、頭蓋骨の中にある脳が「第二の脳」で、胃の方が第一の脳なのです。
番組の中ではさまざまな科学的事実や画像を利用してこの点を強調しています。人間の消化器系と猫や犬の脳はほぼ同じ数のニューロンを持っています。その数はおよそ2億個です。また、脳と胃のニューロンの構造は非常によく似ています。
人間の中にはとてもたくさんの細菌が密に生息しています。
「あなたの腸を信じなさい」という格言は、人間の本能的な行為を表す表現として正しいだけでなく、数量的な意味でも正しいと言えます。つまり、人間の体には数百万の細菌が生息しています。この数は地球の存在する銀河系の星の数よりも数千倍多く、人間の体の細胞の数よりも数百倍も多くなります。したがって、人間の胃、正確に言えばそのマイクロバイオームは、地球で最も密度の濃い生態系になります。
ハミルトンのマックマスター大学(カナダ)のマイクロバイオーム研究者、ステファン・M・コリンズは核心をついた説明を行います。人間は細菌にとって乗り物のようなものです。人間の体には1~2kgの細菌が生息していて、カロリーの30%を産生しています。私たちが食べた食べ物は主に細菌によって消化されています。人間は細菌が生み出したエネルギーを使っているのです。トレードオフとして、人間の体は細菌に住み家と栄養を提供しています。細菌は消化を行いながら、取り込まれた物質を有害なものとそうでないものに分けています。つまり、消化管マイクロバイオームは人間の体で最も重要な免疫系なのです。私たちはこのような働きをする細菌と共生しているのです。
細菌はどのようにして人間の体の仕組みの中に入り込むのですか?
人間の赤ちゃんは無菌状態で生まれます。まず最初に、細菌は腸の中に定着します。その後、腸内フローラは人間の体に取り込める善玉菌と排除すべき悪玉菌を選別します。赤ちゃんが誕生してから最初の5ヶ月で主要な細菌の顔ぶれが揃います。このプロセスにより、人間のマイクロバイオームは個人個人で独特なものになります。
帝王切開や母乳の代わりに人工栄養で育てること、過度に衛生的な環境や母親や子供に抗生物質を投与することは、この複雑で大切な仕組みに対する脅威となります。ドキュメンタリーの中では明確に述べられていませんでしたが、私たちが文明と呼ぶものによって、「正常なマイクロバイオーム」が大きく脅かされているという事実は良く知られています。現在でも正確な原因は不明ですが、人々がマイクロバイオームが多様性を失っているのは明らかです。
マイクロバイオームの科学の最新知識
コリンズ博士は、赤ん坊が生まれた直後に、できるだけ最善の細菌を組みわせた「ワクチン」を投与した方が良いと考えています。マイクロバイオームの多様性の大きさを維持するために、「ワクチン」の投与はその後の人生の中で定期的に繰り返すことができます。現在の研究では、どのような細菌を含む「ワクチン」が効果的なのかの調査が重点的に行われています。
この調査はジュイ=アン=ジョザ(フランス)のINRAで働く科学者ダスコ・エールリッヒの目標でもあります。ダスコ博士の研究の目標は、彼がエンテロタイプと呼ぶ三種類のゲノムタイプのマイクロバイオームを解読することです。興味深いことに、どのエンテロタイプになるのかは、居住地や出生地、性別や年齢が重要な要因とはなりません。しかし、遺伝子と摂取する栄養が大きな影響を与えていると考えられています。以上がマイクロバイオームに関する現代科学の最新状況です。
肥満を防ぐ細菌?
科学者たちは、マイクロバイオームが2型糖尿病や循環器疾患などの慢性病に及ぼす影響を調べようと努めています。マイクロバイオームの乱れが健康に及ぼす影響については「傷ついたマイクロバイオームが健康に及ぼす影響」の記事をご覧ください。
ルーヴェン大学(ベルギー)のパトリス・カニは興味深い事実を発見をしました。体重が重い人の腸内フローラを調べ、アッカーマンシア・ムシニフィラという細菌が不足していることを発見したのです。カニ博士は一連の研究で、アッカーマンシア・ムシニフィラに感染したマウスと人間は比較対照群(アッカーマンシア・ムシニフィラに感染していないマウスと人間)と比べて、高脂肪食の摂食後に体重増加が少ないことを示したのです。感染したマウスでは高脂肪食から得て体内に蓄えられるエネルギー量が明らかに少なくなっていました。アッカーマンシア・ムシニフィラは人間の腸壁を覆い囲って保護している粘液層に生息し、腸壁と相互作用しています。
ここで疑問が浮かびます。私たちはアッカーマンシア・ムシニフィラを薬やサプリメントとして摂取することはできるのでしょうか?科学者の答えはノーです。脂肪を消化する能力のわずか10%だけが遺伝的要因で決まり、もう10%が細菌の働きによります。残りの80%は私たちが何を食べ、どう運動しているかの結果で決まるのです。
人間の脳が私たちの人格を決めているのでしょうか?それとも何か他の影響を受けているのでしょうか?
ステファン・コリンズは実施した調査からもうひとつ面白い結論が導き出されています。彼はマウスを2グループに分けました。ひとつは大人しいマウスのグループで、もう一つは攻撃的なマウスのグループです(スイス・マウスと呼ばれています)。そして、博士は2つのグループのマウスのマイクロバイオームを交換しました。何が起こったでしょうか?マイクロバイオームを交換すると、マウスの性格が入れ替わりました。大人しいマウスが攻撃的になり、攻撃的なマウスは大人しくなったのです。このことは、マイクロバイオームが脳に影響を及ぼすことを証明しています。この発見は研究者の間で大きな注目を浴びています。
もうひとつの気になる疑問は、どうすればこの結果を人間に応用できるのかということです。私たちは抑うつや攻撃性を食事やワクチンだけで治療できるようになるかもしれません。しかし、プロバイオティクスなどのサプリメントに関する最近の研究は、性急な行動を戒めます。特定の細菌をワクチンで定着させることはできません。細菌の定着を助けることができるだけです。
一方で、プロバイオティクスは脳の特定部位の活性化を抑え、ストレスなどの負の感情を和らげることを明確に証明した研究もあります。科学者たちは性急に結論を出さないよう忠告していますが、いずれにしてもプロバイオティクスが脳と健康の両方に良い影響を与えることは間違いありません。
細菌は人間の第三の知性となるのですか?
コリンズ博士は次のようにまとめています。私たち人間は細菌によってコントロールされているわけではありません。ですが、細菌が私たちの状態や行動に影響を与えていることは確かです。博士によると、人間の頭蓋骨の中の脳と胃の中の脳に加えて、私たちの体の中には第三の知性があります。それはもちろん、細菌のことです。この発見は科学にパラダイムシフトを起こすものです。自己と外部の間に明確な境界はありませんが、数千の遺伝子、数百万のニューロン、そして数億の細菌の未だ十分には解明されていないネットワークから構成される、複雑なシステムが存在するのは確かです。この複雑さを私たちが理解するには、科学はまだ充分に進歩していません。
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